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It's penalty life

2018-10
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今此処に

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「お金を貰う仕事ですから、辛くないわけはありません。
 むしろお金を貰えるわけですから、辛いのは当たり前です。
 厳しいことを言いますが、辛いですか、という質問はナンセンスです」

「私がこの会社に付加価値を与え続けていること。
 それが私のやりがいです。」

----------------------------------------ある企業説明会の記憶より

思い出した、忘れてはならない地点の一つ。
ないもの、ありえないものを望む自分だからこそ、此処は。
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現象的・現象学的

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「現象的」というのは、現象という出会い方で与えられ、展開されうるようになった事柄を指す名称である。それに従って、現象的な諸構造というような言い方ができる。「現象学的」とは、挙示と展開の仕方に属し、またこのような研究で必要になる概念組織をなすすべてのものである。


存在と時間 マルティン・ハイデガー 訳:細谷貞雄 
序論 第二章 C 現象学の予備概念
----------------------------------------------------引用ここまで

現象は、対象となる存在がありのままの状態で明らかになる事、と認識している。このことを前提とすると、現象的という言葉はありのままの状態であらわされた存在、を示すと言うことである。

現象学的とは、存在を現象に至らせるために必要な概念と手段で構成されているものである。

現象学とは特定の学問が対象ではなく、むしろあらゆる対象をありのままの状態で明らかな状態にする学問である、と主張していると考えられる。ハイデガー自身が述べているが、その意味では存在論と等しいと考えられる(存在論における論理展開が現象学と同様の手段を用いれば、の話だが)。

善悪の彼岸 1

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156
狂気は個人にあっては希有なことである。
しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。
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 イエスに対するパリサイ派の行動や古代ギリシャにおける一般市民の奴隷に対する行動から、日本のマスメディアによる日本叩きやアメリカの攻撃的行動も、何でも狂気に見える。
 しかもこの狂気は集団に属している限り、狂気ではなく正気である。自分達の正気に異を唱える者を殺すことは正しい行動なのである。
 人間は自分の行動基準を自ら作り出すことは希有である。しかしながら、行動基準を他人の基準に寄りかかるだけかコピーでも一から自分で考えた基準であるかで大きく異なる。違いは集団に安易に属すかどうかである。後者である限り、狂気に気付く可能性はある。

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