It's penalty life

2006-05
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個人的出来事に怒り、社会的出来事に無反応

「他人を見下す若者たち」:速見敏彦

今の時代は、多くの人が自己肯定感を求めようとしている時代である。
本物の自己肯定感というものは、長い年月をかけて本人の努力の結果として獲得したもので、安定したものと考えられる。
しかしながら、世の中の若者達が持っている自己肯定感はそれに比べると異なり、自分の確固たる経験に基づかない、社会の雰囲気や運に左右された主観的で不安定なものに見える。

と、本文で書かれているけど、これは若者に限ったものではないと思う。筆者は若者に多いといっているが、世の中で起きている事件は全体的に年齢層がばらけているし、若者だけがキレるわけでもない。
 むしろ、年配の多くも若者がキレるという行為に走るのを見て、真似をするようにキレているとも見える。

 ちなみに上の不安定な肯定感を筆者は仮想的有能感と呼んでいる。確かに理由も無く、努力もしない楽天家は増えているの可能性はある。ただ、残念ながら筆者らによる調査はサンプリングが少なすぎるため、ここまで言うには早い段階であると思われる。

 この仮想的有能感が世の中に広がったのには、自分の考えでは大人の打たれ弱さと幼少期における周囲からの社会的承認の回数の少なさにあるのだろう。
 大人の打たれ弱さとは、大人が自身の自己肯定感を満足することに夢中になり、子供を気にしない態度のこと。つまり大人が自己厨であるため、子供は周囲に何も期待しなくなり、結果として子供も自己厨になる。しかしながら、自身は殻に閉じこもり何もしないため、有能感など存在しない。そこで他人をなんとかして馬鹿にして、仮想的に有能感を得ようとする。最近の漫才でも個人を馬鹿にするものが受けているのも、こういう有能感を求めている反映かもしれない。
 もう一つの社会的承認の少なさは、簡単に言えば誉められる回数が極端に少ないということ。これは前に上げたものとも関連する。結局、大人は子供を自分の思う通り、自分の有能感が得られる方向に動かそうと努力し、それに沿わない限り怒る親が多い。当然だが子供は親の意向などわかないし、満足させることなどできない。さらにこういう親の場合、子供自身の意見をいうこともできない。となれば、結果として自己が承認される回数が減る為、自己の安定性が減る(親の言うことを聞けば楽にはなるが、自己は形成されにくいだろう)。結果として仮想的に作り出すしかない、もしくは不満をためてるしかない。
 こういったことから仮想的有能感を持つ人間が多いのだろう。

 自己に夢中の為、自分が存在している基盤であるはずの国家・社会の重要性、守るべき規則すら見る余裕すらないのだろう。社会に存在することが難しい者達を人間と言えるかどうかは、疑問を感じざるを得ない。
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独我論

昔の思考メモより。

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独我論とは「自分だけが存在し、自分以外のものは自分の心の中にしか存在しない」という主張である。

哲学で語られる独我論というものは、認識論的な懐疑論に端を発している。
 認識論:知識の確実性の根拠に関する議論
 懐疑論:その根拠をどこまでも疑う立場。
     この立場に立つと確実で疑い得ないものは、
     今ここでの自分の心の中のことだけになる。
     
注意すべきことは、この議論は自分だけではなく、他人についても当てはまる、ということだ。つまり任意の主観を指している。

こうなると、認識論的な懐疑論に基づく独我論は、自分にとっての<自分>のことはわかるけれど、他人にとっての『自分』のことはわからない、と言う趣旨だったのに、今の解釈では他人にとっての自分のこともわかっていることになってしまう、と言うわけである。

-----------------------------------------------------引用ここまで

 懐疑論において「この立場に立つと確実で疑い得ないものは、今ここでの自分の心の中のことだけになる。」と言っているけど、ここで止まるのはおかしい。むしろ、「自分の心の中」すら疑うのが懐疑論として正しい立場だろう。 だからこそ、不安定さを恐れた多くの人がヴィトゲンシュタインの論考に夢中になったのだろう。
 しかしながら、確かな根拠を得る方法はない、ということを認識することが今現在の限界の地点であることは変わり得ない。俺自身はそれでいいと思う。それが現実だから。昔は認められなかったけど。
 今でも根拠があれば楽だとは思う。神の不在を嘆きたいと思うし、そう思ってしまう自分を冷笑したくなる。ただ別に、そんなものがなくても生きるだけの根拠は、なんとなくだがあるつもりだ。それが非言語領域の自分自身にとっての証明なんだと思う。

060527

現場の忙しさ&出張のためサボってた。
本は読んでたけど、更新メンドクセ( ´ー`)
ぼちぼち今日から更新再開かも。

実はかなり勉強しないとマズイ気がするけど、本読むのはやめれない。
けど洗車とか部屋掃除とかもしたい。
んー、社会人は意外と時間が無い。

聴牌したら手代わり待つな

「科学する麻雀」:とつげき東北

東風荘における牌譜実測データをベースにした麻雀理論。
以下に個人的にこれは採用な項目。

・聴牌は即リーが一番収入率が高い。
・手代わりを待つなら、手代わり候補が8枚以上の場合以外はしない。
・相手の聴牌・リーチに対しては、相手と同等の点数が無い限り勝負はしない。
 ただしこれは自分が聴牌した場合。
 一向聴では相手より大幅に高い場合のみ(倍満以上)。
・基本的に裏アリ麻雀においてはリーチ=5200?8000の可能性が高い。
・一半荘において、3?4割の局はベタオリ。それを認識する。
・最も重要な技術はベタオリ。

自分のメインはこの程度か。
他にも細々あるけど(実測に基づいたベタオリ技術とか)。

測定結果からは、「流れ」は存在しない、らしい。信じて無いけど。
場面によって打ち方を変えるのは打ち方が弱いからだ、と言ったのは確かだと思った。もっとも「流れ」についてネットで議論(?)してた時の著者は嫌いだったけど(自分の探求に走りすぎて議論が成立して無いように見えた)。

最後に著者の締めの一言を。
「それは偶然でしかない」ー偶然が大きく結果を左右する麻雀界においては、この正しい認識を持てる人があまりにも少ない。 

重力はなぜ弱いか。

「超ひも理論とはなにか 究極の理論が描く物質・重力・宇宙」:竹内薫

素粒子1個に働く力には4つの力があって、強い順番に
 1、強い力 - グルーオン
 2、電磁力 - 光子
 3、弱い力 - ウィーク・ボソン
 4、重力  - 重力子
ついでに、それぞれの力の後には、力を伝えるものを示している。
力を伝えるもの=キャッチボールする時のボールと考えてもらいたい。
(素粒子とは原子を構成しているもの。)

ここで、4の重力だけ極端に力が弱い。
強い力を1とすると、それぞれの力は次の値になる。
 1、強い力 ? 1
 2、電磁力 ? 0.01
 3、弱い力 ? 0.00001
 4、重力  ? 0.00000000000000000000000000000000000001
重力だけ、小数点以下に0が37個並んでおり、極端に小さい。
これは明らかに我々の直感に反する。
なぜなら、我々が知っている一番強い力こそが重力であり、重力が強いからこそロケットは猛烈に噴射しないと地球の引力圏から脱出できないのであるから。

けど、ここの見積もりは間違っていない。我々がイメージする重力は太陽や地球などといった、天文学的な巨大な数字だけ素粒子が集まったものに働く重力をイメージするからである。つまり素粒子一個で見てみれば、上記の数値になるということ。

それじゃあなんで重力だけこんなに小さいのか?
実は'超対象性'という特殊な条件においては、重力以外の力は同じ値になる。
しかしながら重力だけは等しくならない。
つまり重力だけは他と異なる性質を示している。

この重力だけが他と異なっているのが新たな可能性を示唆している。
それが5次元以上の高次元の存在だ。
今のところ超ひも理論においては空間は8次元、ひもの方向で1次元、時間の方向で1次元の計10次元で理論を構築している。
しかしながら3次元以上の空間(4次元など)は観測できない。
逆に言えば4次元の空間が存在していることも証明できていない。

ここで凄い物理学者がいて、「重力が他の3つの力に比べ極端に小さいのは4次元方向に重力子が洩れているからではないのか」、と考えた。
現在の観測においては0.1mmまでは4次元空間への洩れは確かめられていないが、より短い距離において洩れている'可能性'は否定できない。
つまり超ひも理論を裏付ける高次元が確認される可能性もある。

この本では他にも、ビックバンの説明に平行ブレーン宇宙と言う考え方を用いて説明する方法もある。


非日常的ではあるけれども、直感的理解が楽しめる。
また物理学者たちの突拍子も無い発想には脱帽ばかり。
正直、脳の構造が違うんじゃないかと( ゚Д゚)y─┛~~

ただ、基礎知識がないと楽しめないのが…
量子力学を僅かでもかじったことのある人用かな。
興味あれば大丈夫かもしれない。

成功体験をリセットする

「最強トヨタの7つの習慣」:若松義人
 当たり前のこと当たり前にやる。内容はそれだけ。
 ただ、その当たり前ができない。そこでどうしたらいいか。
 この本では成功例がでてくるが、より具体的な対処法を知りたければ
 トヨタ関連の本を読むといいと思う。
 基本的なことが重要であり、そして何故重要かを論理的に
 説明できることが必要である。

多くの会社ではトヨタや日産(カルロス・ゴーン)に学べ、と言う風潮がある。
しかしながら、社長や教育係がそれをいっても浸透しているかは一目瞭然である。
末端の社員までその思想が反映されているか、である。
現場の最前線においてもその意識がなければ、改善はできない。
この本の中では改革や変革と言う言葉は無い。
あるのは改善と言う言葉である。
改革は大きな変化を一息にもたらし、反発を生みやすい。
しかしながら徐々に改善するならば、説得も容易であり、また変化にも対応しやすい。
トヨタでは朝令暮改という言葉があるが、間違ったことは夕方に直すのでは遅い、と言い、気付いたら昼に直すべきだ、という。
常に改善の意識があることが当たり前、になる必要があるのだろう。

たぶん疲れるとかは無く、ただそれが当たり前なんだろう。

功利主義、利己主義

?義務論による功利主義批判。
?義務論は社会の幸福の最大値を目指すものであるべき。
?よって功利主義に帰着。

O.K、ではなくて転倒しすぎてることに気付く。

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義務倫理学
〔deontological ethics〕
一定の行為を行うことはそれが招く結果を問わず道徳的義務であるとみなす倫理説。
道徳法則への尊敬を唯一の動機として行為することを教えたカントに代表される。

功利主義
(1)一般に、功利・効用を生活の究極基準とする考え。
(2)〔倫〕〔utilitarianism〕快楽と苦痛が人間の行為の原因であるばかりか、
行為の正・不正の基準をも提供するという倫理説。
利己的快楽と公衆の福祉とを一致させるため、ベンサムは快苦を量的に捉える
快楽計算を導入。ミルはこれを修正して、快楽に質的区別を認めた。

----------------------------------------goo辞書引用

?:利己主義=功利主義として義務論として批判。
?:義務論=義務倫理学から規定されるもの、として把握。
?:義務倫理学=功利主義
功利主義=利己主義と混同しただけだった。


ただカントの論説は何故それをすべきかは述べていないし、
それを例証により読者の善意に任せるような形が多い。
結局それでは何の意味も無いことに気付きながらも見ぬふりをしたのだろうか。

異他性

『これが現象学だ』 谷徹、から引用および要約
--------------------------------------------------------------
フッサールの「デカルト的省察」での他者論は、異文化の他者の議論に繋がっている。
この異文化の他者の問題は現象学的他者論において重要であり、詳しく見て見る。

自我と他者たちは、行為や言語などのコミュニケーションによって相互理解し、共通の精神世界=文化世界を形成し、なじんでいる。新たな他者が現れた場合も、私たちはこの延長線上で他者を理解するだろう。

フッサールはそうした共通性を持たない他者の可能性を認めている。つまり、「同じ一つの世界に属する人間達が、互いに関係の薄い、あるいは互いに全く関係のない文化的周囲世界をそれぞれ具体的なもろもろの生活世界として構成している…」といった可能性は排除されない。

ここで一方では「同じ一つの世界」と、複数形の「もろもろの生活世界」とが語られている。世界の唯一性を考えると、この両者の関係は、現出者と諸現出の相関関係のバリエーションとして理解されるだろう。

しかし他方で、この問題提起は上記の事に内容全てが含まれてはいない。他の文化的共同体に属する人が、私とは異なる周囲世界を構成しているのであれば、私は、その人に始めてであった時には、その人が構成している世界を知らないのであろうか。行為、もしくは言語すら私が理解できない状況もあるだろう。

この時、理解不可能性が登場する。そして、理解不可能性によってこそ、その人がまさに自分とは異なった世界を構成している他者であるということが経験される。この時に、この他者の異他性が噴出してくる。理解出来ないということは異他性の特性である。
--------------------------------------------------------------引用ここまで

この前には世界が対称とは異なる不思議な性質を持つことが現象学的に説明されている。
(世界の<存在>のほうが対称の存在よりも存在論的・超越論的に先行する。)
そちらも面白いので興味がある方はどうぞ。

ここでは異他性について記されている。
これを用いて他者論の展開を行っている。

個人的に面白かった部分
・コミュニケーションは文化依存。日常的に見ても当然だが。
 人は自身の悪癖を取り除けない理由の一端を担っていると思える。
・「同じ一つの世界」と「もろもろの生活世界」の表現。
 自我の孤独性と他我の複数性と両世界のある種の絶対的隔たり。
 しかしそれらの相互理解の可能性は日常的に示されている。
 また、フッサールも相互理解の可能性を明言している。
・異他性を一つの特性としたところ。
 臭い物に蓋をする日本人的発想では、重要項目とは捉えきれないだろう。

経験から得られるという発想を徹底させているため拒否反応がない。
確かに先験的な説明はどこかに不安定さを残すが、この手段はそれほど違和感がない。

20060511

謎は存在しない。問いが立てられうるのであれば、答えもまた与えられうる。
(『論理哲学論考』六・五)

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。
(『反時代的考察』第三部)

公約数的な正しさを絶対とするその一点で、貴方の言動は間違っている。うまく説明できないが、その正しさにはどこか神にも似た不吉さを感じる。だからこそ俺は、凡庸に、無様に、地面に這いずろうと、俺自身でいたい。貴方になりたくはないんだ。
(『されど罪人は竜と踊る』)

強くなることだ。あらゆる意味で、強くな。
何者にも侵されない強さ、自分自身にさえ侵されない強さを、手に入れることだ。
(『RAGNAROK EX. SANCTUARY』 SANCTUARY)

「だから!お前が、泣くな!なにかあるんだ!奇跡はないかもしれないが、それと同じものが。じゃなけりゃ、誰も生きてなんていけるものか!」
(『魔術師オーフェンはぐれ旅 我が聖域に開け扉(下)』)

善意を信じたいなら、悪意も信じろよ
顔のない群衆に紛れてしまうか、
それとも自分自身と真っ向から向き合えるか、
―それを選択し決意するのは自分だ。
(『RAGNAROK EX. THE LEGACY』 DESPERADO)

神のいないこの世で、奇跡など決して起こらない。
だが奇跡が起こらないことなど絶望ではない。
奇跡の不備を、誰もが知っているというのに、それでも生きていなければならない。
それが絶望だ
(『魔術師オーフェンはぐれ旅 我が絶望つつめ緑』)

「再生のための破壊なんて、あるわけないだろう。破壊は、破壊だ。破壊する事に対する言い訳なんて言ってるようじゃ、なにも壊わせやしない」
「・・・・・・・・・」
「ただ壊すのが怖いなら、始めから壊そうなんて思うな」
「俺は、再生してみせる。すべてを破壊した瓦礫の後に、俺は正しいと思えるのもを創り上げる。そして、お前に教えてやろう。破壊などしょせん、再生のための手段の一つにすぎないとな」
(『RAGNAROK8 翡翠の罠』)

後にも先にも ひとつだけ ひとつだけ
その腕で ギュッと 抱えて離すな
世の中に ひとつだけ かけがえのない 生きてる自分
弱い部分 強い部分 その実 両方が かけがえのない自分
誰よりも 何よりも それをまず ギュッと強く 抱きしめてくれ
(『ダイヤモンド』 BUMP OF CHICKEN)

欺くならば力の限り欺くがよい。
しかし、私が私は何ものかであると思っているあいだは、
彼はけっして私を何ものでもないものとすることはできないだろう。
(『省察』 ルネ・デカルト)

事実学をやめよ。
それは結局信念の対立と、したがって権威づけられた思想どうしの対立に帰着するほかない。
本質学を開始せよ。
そのことで、思想をフェアな関係のゲームとして開け。
これが現象学の方法の根本メッセージである。
(『現象学は<思考の原理>である』 竹田青嗣)

君に届け!この想い。まっすぐ!
「忘れないで?君は独りじゃない!」
「辛くても…それでも進むなら…飛べるだろう 君は必ず 飛べるだろう。」
「汚くて泥だらけの川でも、そこに落ちたとしても…はいあがる「時間」が翼になる!大きく!強く!」
(『卒業の歌、友達の歌。』 19)

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する
(『論理哲学論考』五・六)

「世界は客観のように存在するのではなく、唯一性において存在するのであって、
この唯一性にとって複数は無意味である。」
(『これが現象学だ』 谷徹)

「人が道徳的になるのは、彼が道徳的であるからではない。
道徳への服従は、君主への服従と同じく、奴隷根性でも、虚栄でも、利己心でも、諦念でも・・・・・・ありうる。
それ自体は少しも道徳的なことではない。」
(『曙光』九十七 ニーチェ)

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