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It's penalty life

2018-08
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生ー政治

フランスの哲学者フーコーは、
「生かし続けることを基本的な手法として採用している政治」のことを
‘生ー政治’と表現した。
これは政治が人を生かし続けることを基本原理とし、それに則って政策を実行する政治手法のこと。

‘生ー政治’は今日の政治手法の主流であると考えられる。
自分が思うのは、「多くの人はこの手法に疑問を持つのだるうか?」ということだ。自分自身は大いに疑問がある。

まず、なぜ「生きる」ということが重要だとしたのか。
その根拠はどこから来ているのか。
この根拠は決して道徳的な理由から来てるわけではないと考えられる。

社会にとって価値のあることは、「機能的であること」や「生産の役に立つこと」であり、ここから「生きること」や「健康であること」が価値があるとされていると言える。

社会のために‘生ー政治’はある。
つまり社会は、そこに存在している人々に「生きること」を強要し、それによって管理している。これは社会が「生きること」を使用して、人々を管理しているとも考えられ、‘生ー政治’はそれ自体、道徳的ではない。

さらに不思議に思うのは、「生きること」に価値がある、ということを自分の価値観に取り込んでいる(内在化させている)ということだ。
別にこの行為が悪いと言いたいわけではない。
重要なのはそれが社会によって内在化させられた、という経歴があることに注意すべきだ、と言いたい。社会の価値に従うことは常に正しいとは思えないからだ。

今の社会においては、極端な延命治療や自殺の否定が当然の様にまかり通っている。しかしながら、これらの理由は「生きること」に価値がある、というだけであり、それ以上の対話を行わない。
何故、「死」を選ぶ自由が無いのか。これが自分には理解できない。

話を元に戻すと、内在化が悪いわけではない。
だが、‘生ー政治’が正しいとは言えない。‘生ー政治’が正しいのであれば、今の世界は理想郷となることができるはずである。しかしながら、こうしている瞬間にも社会の福利を得る人が死に、何もせず惰眠を貪り、しかしながらそれに一瞬だけ反省したつもりになり、結局言うだけで何もしない人間が、社会においては大多数であり、自分もその中の一人でしかない。

この‘生ー政治’という概念は正しいとは言えない。
もっとよりよい方向に社会を改変していく必要があると言える。
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