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It's penalty life

2018-08
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独我論

昔の思考メモより。

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独我論とは「自分だけが存在し、自分以外のものは自分の心の中にしか存在しない」という主張である。

哲学で語られる独我論というものは、認識論的な懐疑論に端を発している。
 認識論:知識の確実性の根拠に関する議論
 懐疑論:その根拠をどこまでも疑う立場。
     この立場に立つと確実で疑い得ないものは、
     今ここでの自分の心の中のことだけになる。
     
注意すべきことは、この議論は自分だけではなく、他人についても当てはまる、ということだ。つまり任意の主観を指している。

こうなると、認識論的な懐疑論に基づく独我論は、自分にとっての<自分>のことはわかるけれど、他人にとっての『自分』のことはわからない、と言う趣旨だったのに、今の解釈では他人にとっての自分のこともわかっていることになってしまう、と言うわけである。

-----------------------------------------------------引用ここまで

 懐疑論において「この立場に立つと確実で疑い得ないものは、今ここでの自分の心の中のことだけになる。」と言っているけど、ここで止まるのはおかしい。むしろ、「自分の心の中」すら疑うのが懐疑論として正しい立場だろう。 だからこそ、不安定さを恐れた多くの人がヴィトゲンシュタインの論考に夢中になったのだろう。
 しかしながら、確かな根拠を得る方法はない、ということを認識することが今現在の限界の地点であることは変わり得ない。俺自身はそれでいいと思う。それが現実だから。昔は認められなかったけど。
 今でも根拠があれば楽だとは思う。神の不在を嘆きたいと思うし、そう思ってしまう自分を冷笑したくなる。ただ別に、そんなものがなくても生きるだけの根拠は、なんとなくだがあるつもりだ。それが非言語領域の自分自身にとっての証明なんだと思う。
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